大田の いいもん うまいもん-海あり 山あり 歴史あり。自然と共に生きる大田市は昔ながらの伝統や文化が息づいています。

一日漁について

その日とった漁師のさかな

大田の一日漁

早朝出漁し、日中漁をして夕方帰港する漁を「一日漁」と言います。12年前より鮮度・品質の良さ・美味しさをアピールするため「一日漁」のネーミングで島根県大田市久手町にある岡富商店では商標を取得し営業活動をしています。「一日漁」で水揚げされた魚がその日の夕方から夜にかけて行うセリ「晩市」にかけられます。数時間前まで海で泳いでいた魚が、その日のうちにセリにかけるため、魚の鮮度や品質は大変良いものです。

沖引き漁の風景

晩市

国的に、セリと言えば朝に行われます。しかし、島根県大田市では、昔から「晩市」で行われています。理由は、大田で水揚げされる魚の量の多さです。水揚げされた魚のうち、大田市で販売されるのは10%~15%、残り85%~90%の魚は、市外や県外へと出荷されます。夕方から夜にかけて行うセリ「晩市」をする事により、今日獲れた魚が明日の朝には関西地区、中国地区、九州地区で「セリ」にかけられ鮮度の良い状態で販売できる事が高い評価を得ています。お客様には、鮮度や品質の良い魚が購入できるため大変喜ばれています。また、漁業関係者の生活へ影響する魚価の高さにもつながっています。

一日漁を続けるわけ。

「晩市」を行うため、15時~16時頃には漁を切り上げて帰港します。日没から日の出まで漁をして、朝にセリをした方が合理的ではないかとの意見もあります。確かに、一見すると不合理に思えますが、不合理な部分を補って余りあるものが、「一日漁」「晩市」にはあります。その理由は、一番に、高鮮度・高品質の魚を翌日に、大消費地の朝セリにかけられ高値で取引される事(底曳の魚として、全国でも上位の高値で取引されています)二番目に、全国的に漁業者の減少が大きな問題となっていますが、この大田でも少なからず、高齢化による減少はあります。しかし、全国的な減少率に比べればわずかです。この地域では、若い人が後を取り、船に乗ってくれるからです。なぜ、若者が後継者となる理由は、魚価が高いためそれなりの収入がある事と「晩市」をする事により、終業時間が一般の人々と変わらない時間帯になるため家族と一緒に過ごせる時間ができるからです。三番目に、資源保護につながっていることです。全国的に乱獲による資源の減少が叫ばれています。当地でも同様に資源の減少から、減船事業で漁船を削減する動きがありました。なぜ、大田市だけ数多くの小型底曳船が存在しているのか。それなりの資源が維持され、水揚げされた魚が、晩市で競られ売買されるため、高値で取引されている事に他ならないと考えています。早朝から日没まで漁をし、朝市を行なっていれば、魚価はもちろん資源の減少に歯車をかけ、現在の船数が残ってはいなかったと推測します。

 

一日漁のいちにち

石見銀山

シルバーラッシュ齎した銀のまち。

石見銀山とは

16 世紀、石見銀山では、東アジアの伝統的な精錬技術である灰吹法(はいふきほう)を取り入れることによって銀の現地生産を軌道に乗せ、良質な銀を大量に生産しました。 生産された大量の銀は、貿易を通じて16 世紀から17 世紀の東アジアへ流通しました。
そして、この頃金銀や香辛料を求めて自らの文明圏を越えて世界に活動範囲を拡げつつあったヨーロッパ人が東アジアの貿易に参入し 、東西の異なる経済・文化交流が行われるようになりました。石見銀山では、採掘から精錬までの作業が、すべて人力・手作業で行われました。 このような作業を行う製錬工房が銀山現地に多数集まることによって、高品質の銀を大量に生産することができました。
このことを証明する600 カ所以上もの露頭掘り跡や坑道跡が今でも銀山山中に残っており、 また、これらに隣接して、かつて製錬工房と生活の場であった平坦地が焼く1,000 カ所以上も残っています。石見銀山遺跡には、採掘から精錬まで行われた鉱山跡を中心に、これを外敵から守った城跡が周囲の山々にあり、 銀鉱石や銀、銀山で必要とされた物資を輸送した二本の街道が銀山から港までつながっています。 さらに、かつて銀山の操業によって栄えた鉱山町や港町は、今日でも地域住民の生活の場となっています。
このように、石見銀山遺跡は、銀の生産から搬出に至る鉱山運営の全体像を不足なく明確に示しています。
また、石見銀山遺跡とその周辺では、かつて精錬に必要とされた膨大な木材燃料の供給が、森林資源の適切な管理の下に行われたことにより、 今日でも豊かな山林を残しています。このように鉱山に関係する遺跡と豊かな自然環境が一体となって文化的景観を形成する例は、世界的に極めて貴重です。

世界遺産

大航海時代の16 世紀、世界で流通した銀のおよそ3 分の1 が日本の銀であり、さらにそのほとんどが石見銀山で産出されたものであったと言われます。
その影響力の大きさを示すのが、当時ヨーロッパで作成された世界地図(左図)です。日本の中でも「石見銀山」は非常に大きく扱われており、その存在の大きさを表しています。
石見銀山の特徴は、自然を破壊せず、環境に配慮した「自然環境と共存した産業遺跡」であることです。そしてこれが、世界遺産として評価された重要なポイントです。

川本方面からのアクセス

三瓶山

大田市きってのレジャースポット

三瓶山について

島根のほぼ真ん中にそびえ立つ三瓶山は、室の内( むろのうち) と呼ばれる低地を、主峰の【男三瓶】に寄り添うように並ぶ【女三瓶】、【子三瓶】、【孫三瓶】、を主として計6 つの峰が環状に連なっている山です。
また、山々を中心に広がる三瓶山一帯には東西南北4つの主なエリアがあり、【北の原】、【東の原】、【西の原】、そして【三瓶温泉】と呼ばれ、親しまれています。それぞれの山を巡る多彩な登山ルートや紅葉狩り、スキーやアウトドアスポーツ、温泉など各エリアの特長を生かした四季折々の贅沢な自然を、様々な形で堪能でき、人々を魅了しています。

川本方面からのアクセス

三瓶山 北の原キャンプ場

石見神楽

伝統を継承し、改革で発展する。

石見神楽について

石見神楽(いわみかぐら)とは、島根県西部(石見地方)を中心に受け継がれている民俗芸能で、その起源は定かではないが、概ね室町時代後期には神主や社人らによって舞われていた歴史を持つ芸能である。
明治時代、政府による「神職演舞禁止令」の発令により、神職から民間の手に委ねられた石見神楽は、国学者らによる度重なる神楽改革が行われ、娯楽性の強い芸能として発達していくことになる。この時、従来の緩やかな六調子という囃子から軽快な八調子舞が生まれ、これに伴って和紙製の神楽面や金糸銀糸による派手な衣装が導入された。昭和に入ると、これまで口伝により受け継がれてきた「神楽歌」や「口上(せりふ)」の見直しが行われ、正しく「校定石見神楽台本」が出版され、33演目を基本とし、それ以外にも各地域に伝承されている民話や伝説を神楽化した創作神楽も生まれ、より演劇性の強い芸能として老若男女を問わず、広く親しまれている。日々進化と発展を遂げている「石見神楽」であるが、大田市や旧:邑智郡、旧・鹿足郡の一部では今もなお、貴重な六調子舞を継承している地域があり、特に大田市の神楽については、東部は出雲系神楽(六調子)、西部は浜田系神楽(八調子)、仁摩町宅野地域においては、他に類を見ない正月行事としての「子ども神楽」の形式を今に残している特に希少な地域であり、島根の神楽の特徴をつかむことのできる縮図的地域である。

川本方面からのアクセス

波根町

シルバーラッシュ齎した銀のまち。

 

波根町の風景

 

 

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